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戦後七十年の新春を迎えて―教祖様の道開きの歩みを頂き直す

金光教報 『天地』 1月号巻頭言

 天地のお働きのなかで、今月今日の命と生活を頂き、共々に平成27年の新春を迎えさせていただいたことは、誠にありがたいことである。
 今年は、第二次世界大戦が終結して70年の節目に当たり、それは本教が戦後教団として再出発して70年を迎えたということでもある。
 終戦後の本教は、結果的に戦争に協力し、教政の機能まひに陥ったことへの深い反省のもと、「世界真の平和」実現への決意を新たに、教祖様のご信心に立ち返り、本教とは何かを求めての歩みを開始した。その歩みは、以後、現代社会への対応という新たな課題との関わりで、「世界の平和と人類の助かり」に貢献する教団としての歩みへと展開し、それが今現在の「世界・人類の助かりに向けて、金光大神の信心を求め現す」との教団の基本方針へとつながっている。
 その間には、時々の教団活動との関連で、いくつもの大切な「神伝」や「お知らせ」が教団的に示されてきたが、本教の平和観を求め、確認していくうえでポイントをなしてきたのは、教祖様が「生神金光大神」となられた明治元年9月に示された、「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし」というお知らせであった。
 このお知らせで神様は、明治維新という政治の変革と、それにともなう激しい社会の動揺のなかにあって、世の中が安らかで平和であることを意味する「天下太平」と、日本全国で作物が豊かに実り、産業が盛んになって、人々の暮らしがよくなるようにという祈りが込められた「諸国成就祈念」と「総氏子身上安全」という3つの言葉を示され、教祖様に対して、その言葉を染めた幟(のぼり)を立て、「日々祈念いたし」と仰せつけられたのである。


 従来、この「お知らせ」以降、世とすべての人々の立ち行きを祈念するということが、教祖様の御祈念、御取次の中心に据えられたと解されてきた。もちろん、それに相違ないとして、では、この「お知らせ」を、あらためて教祖様の道開きの歩みや御取次の深まりのなかに頂き直してみると、そこに何が見えてくるのであろうか。
 教祖様は、安政6年の「立教神伝」以降、「世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ」との神様のお頼みのままに、参拝してくる一人ひとりの「難儀な氏子」が「神も助かり、氏子も立ち行き」と仰せられるこの道の助かりへと導かれることを願って、お広前奉仕、御取次のことを進められた。それによって、その御祈念、御取次を深めていかれたことは、「立教神伝」時の「金子大明神」というご神号が、「金光大明神」、「金光大権現」、「生神金光大神」へと変遷していること、また、折々に示された「お知らせ」の内容からうかがい知ることができる。
 たとえば、安政六年から五年後の元治元年正月の「お知らせ」では、宮建築の頼みとともに、「其方取次で、神も立ち行き、氏子も立ち」と、そこまでの教祖様の御取次がたたえられ、そのうえで、「氏子あっての神、神あっての氏子」というこの道の神人関係に基づく、もしくはそれにつながる信心の中身として、「子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み」「あいよかけよで頼み合いいたし」ということが示され、同時に、そのような親子関係の姿が「其方取次」をもって導かれるべき具体的な実践の中身としても確認され、促されているように頂ける。
 また、「立教神伝」から8年後の慶応3年11月24日の「お知らせ」では、「日天四の下に住み、人間は神の氏子」と、すべての人間が「神の氏子」であることを明かされ、そのうえで一人ひとりの生活や現実に寄り添うように、「身上に、いたが(痛い所)病気あっては家業できがたなし。身上安全願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身上のこと、なんなりとも実意をもって願い」、「心、実意をもって神を願い、難なく安心のこと」と、どのような問題も実意をもって願えば安心になると示されている。さらには、そのことが、「取次金光大権現のひれいをもって、神の助かり」「三神、天地神のひれいが見えだした」というようにたたえられている。
 ここには、すべての参拝者を「難儀な氏子」「神の氏子」として迎え入れ、持ち込まれるあらゆる問題を「氏子身上のこと」として受け止め、一人ひとりが「神の氏子」として生きることに実意を込めていくことで、「神も助かり氏子も立ち行く」助かりの世界へと導かれることを願って進められ、深められてきた教祖様の御取次に対する、神様の限りないお喜びが満ちているようである。
 こうした神様のお言葉は、各地出(でやしろ)社広前での取次の展開という実態も踏まえられてのことと思われるが、それはこの時点で、神様からご覧になって、教祖様の御取次を中心とした「総氏子身上安全」に向けての信仰集団が実態的に形成されつつあったことを意味している。
 先ほどの「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全」のお知らせは、この慶応3年の翌年に示されたものである。その意味で、この「お知らせ」以降、世とすべての人々の立ち行きを祈念することが教祖様の御祈念、御取次の中心に据えられたとしても、それはどこまでも生神金光大神取次の深まりと、「神の氏子」たる一人ひとりの信心生活の拡充展開が願われてのこと。言い換えれば、かつて「取次を願う個々人の救済に止まらず」と言われ、また、「求道者」から「布教者」「救済者」への展開と言われたこともあったが、むしろ、「取次を願う個々人の救済」こそが大切なのであり、そのための求道の姿勢がいっそうに求められた「お知らせ」ではなかったかと思われる。

 そのことはまた、次に紹介する明治期の「生神金光大神社」に関わる、2つの「お知らせ」からも首肯される。
 その1つは、明治4年12月の「お知らせ」であり、ここで神様はまず、「金光大神社でき」と、生神金光大神取次を中心とした信仰集団ができたことを確認され、続けて、「何事も神の理解承り、承服いたせば安心になり、神仏とも喜ばれ」、「親大切、夫婦仲ように、内輪むつまじゅういたし候」、「方角日柄見るばかり、天地乃神に願うことなし。見ても見いでも願い断り申し。神は氏子繁盛守りてやる」という、3つのお言葉を示されている。
 いずれも、明治維新の変革に翻弄(ほんろう)され、振り回されて難儀の淵(ふち)に沈み込む、多くの難儀な氏子の姿を見据えてのお言葉であり、その意味で、世とすべての人々に対する神様のお心の開示と、拝察される。しかし、その一方で、そこには、教祖様ご家族を含めた生神金光大神社の信心の実際を、厳しく問題化される神様のお心も感受される。
 というのも、この明治4年前後から、明治政府による神道国教化施策が教祖様の身辺に及んでいた。実際、明治3年に、浅尾藩から出社神号授与が差し止められ、同4年に、神官職員規則の制定により神主資格が剥奪され、同6年には、神前撤去へと追い込まれたが、このような状況の迫りは、生神金光大神社の実態的基盤そのものを揺さぶるものであり、ご家族においても、神様による事細かな指示が繰り返されざるをえないほどに、生活上の不安が募り、動揺を重ねられていたのである。
 つまり、明治4年から5年にかけて、「神の理解」をうけたまわりながらも「承服」できないご家族の実際があり、「親大切、夫婦仲よう、内輪むつまじく」とならない実情もあって、そのことも含めて示されたのが、先の明治4年12月の「お知らせ」であったと受け取れるのである。
 いま1つは、翌明治5年7月に示された「お知らせ」で、ここで神様はまず、「天地乃神の道を教える生神金光大神社を立てぬき、信者氏子に申しつけ」と示されている。
 「天地乃神の道」とは、「神の氏子」として歩みべき道、踏むべき生き方やあり方ということであり、これまでに見てきた「お知らせ」に照らせば、「(親と子が)あいよかけよで頼み合いいたし」、「氏子身上のこと、なんなりとも実意をもって願い」、「神の理解承り、承服いたせば」、「親大切、夫婦仲ように、内輪むつまじゅういたし候」、「方角日柄見るばかり、天地乃神に願うことなし。見ても見いでも願い断り申し」などと指し示された、この道の具体的な信心実践や生き方であろう。
 そのような「天地乃神の道」を教える生神金光大神社を「立てぬき」と、たとえどのような境遇や状況に追いやられても、「信者氏子」と共に「信心辛抱」「先を楽しみ」の姿勢をもって貫くようにと神様が要請された「お知らせ」であるが、そこではさらに、「金光大神、拝むと言うな。お願い届けいたしてあげましょうと申してよし。願う氏子の心で頼めいと申して聞かせい、わが心におかげはあり」とも諭されている。
 この「わが心におかげはあり」とのお言葉は、この後、神前撤去を経て醸成された「天地書附」へと展開されている。そのことからしても、このお言葉からは、不安や焦燥、心配や恐れ、疑いや臆病、慢心や奢(おご)り、我情我欲など、人間の奥底に潜む一人ひとりの「わが心」の問題が厳しく見据えられながらも、その心に寄り添って、それぞれの助かりを願われる神様の深い親心が看取される。それは、ここまで「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全」の願いを基本に、厳しい状況に追い込まれながらも、個々の助かりを願って進められてきた教祖様の御祈念、御取次の深まりに応じられてのことであり、それこそが教祖様の揺るぎない求道姿勢を物語っている。
 以上のように頂き直してみると、教祖様の道開きの歩みは、「天地の間に住む人間は神の氏子」と仰せられる神様のお心そのままに、一人ひとりの「神の氏子」の助かりと信心生活の拡充展開を願い、ご自身の御祈念、御取次を深められることで、時代社会に「天地乃神の道」を現そうとするものであったといえよう。


 四代金光様は、「実意をこめてすべてを大切に」と仰せられ、「世話になるすべてに礼をいふこころ」とも仰せられて、ご自身の生活のなかに、お礼を土台にした信心を現す稽古(けいこ)を進められ、私たち信奉者に、先祖や両親があり、教祖様のご縁につながらなければ、今の自分がないという真実を、「あたりまえのことではない」として、常に命のもと、生活のもと、自分の手元を大切にする生き方をお示しくださった。そして、そこからさらに、「世話になるすべてに礼をいふこころ平和生み出す心といはん」とのお歌をお詠みくださったのである。
 戦後70年を迎え、共々に、このお歌に込められたお心をわが身、わが心に頂き直し、「世界真の平和」への決意を新たにさせてもらいたいと願わせられている。

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