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信心辛抱で助かりの道【金光新聞】

「二人で頑張って借金を払おうよ」

 横山千恵さん(82)は、昭和6年に金光教本部 (岡山県浅口市) のある金光町の農家に生まれました。
 27歳で結婚し、義母が金光教の熱心な信者でした。しかし、千恵さんの夫はお参りもせず、賭け事が好きで仕事も長続きしません。結婚後すぐ、千恵さん夫婦は大阪で共働きを始めましたが、長男が生まれる直前に夫はお金を持って家を出てしまいました。悲嘆に暮れた千恵さんは金光に戻り、義母と暮らし始めました。
 ある日、千恵さんが金光様へのお届けの仕方をお義母さんに聞くと、お義母さんは喜んでお結界に連れていってくれ、千恵さんのつらい心の内をお届けしてくれたのです。千恵さんは涙が止まりませんでした。
 以来、千恵さんは毎日参拝し、お取次を頂きながら徐々に心身の健康を取り戻すと、洋品店に勤めて生計を立てました。

 昭和43年、お金に困った夫が帰ってきましたが、やがて結核で倒れました。退院後、夫は商売を始めましたが軌道に乗らず、その間も、夫の遊び癖は一向に収まりませんでした。
 昭和55年、お義母さんが亡くなった時、夫に多額の借金があることが分かりました。怒りを覚えながらも、少しずつ変わり始めていた夫に千恵さん (当時49) は、「二人で頑張って借金を払おうよ」と語り掛けました。
 夫は千恵さんの気持ちに初めて応え、それから二人は必死に働き、借金を5年で完済することができました。その上、平成6年には念願の新居まで建てたのでした。

信心辛抱

 ところが、その年の11月3日、千恵さん (当時63) はバイクの事故で大けがをしました。千恵さんは、長い入院生活を余儀なくされましたが、その間、自分を見詰め直しました。
 「私は長い間、夫に腹を立ててばかりいた。夫は、長男の学費にと預金していたお金を持って家を出ていったこともあったけれど、私が本当に困っている時には、不思議と帰ってきて助けてくれた。これまで夫を責める気持ちが先に立ち、辛抱足りない私も悪かった。人からは、つまらない人間だと言われても、わが家にとっては大切な人なのに、私は夫を拝むことができなかった。こんな私を、金光様は助けてくださった。これからは、人にも夫にも喜んでもらえる人間になろう」

 千恵さんは、平成7年から、朝参拝の後、境内裏山の木綿崎 (ゆうざき) 山の参道清掃を始め、今日まで欠かすことなく続けています。夫は、相変わらずでしたが、平成17年から家に落ち着くようになり、昨年9月に亡くなるまでの7年間、千恵さんは夫との穏やかな時間を持つことができました。
 生前、夫が入院していた同室の人から千恵さんは、「あんたのご主人は優しいお人じゃなあ。よう声を掛けて親切にしてくれた」と感謝されたこともありました。
 千恵さんは、「自分のような者でも信心辛抱すれば神様は助けてくださいます。そればかりか、夫のような者でも助けてくださった。どうか皆さんも金光様のご信心に励んでください」とよく人に話しています。
 現在、千恵さんは本部会堂で毎朝開かれている「6: 30(ロクさんまる)お話し会」 (*) にも参加し、仲間に語り掛け、体調の悪い人に手製の梅ジュースを届けるなど、ご霊地の「信心の風」になっています。

*本部在住の信奉者で取り組まれている、毎朝6時30分から教話を拝聴する催し

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,