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神様が使ってくださる【金光新聞】

「金光様、どうぞ何か言わせてください」

 「何事にも、自分でしようとすると無理ができる。神にさせていただく心ですれば、神がさせてくださる。──これは教祖様のみ教え。神様にしっかりお願いしていれば大丈夫だ。後は神様が使ってくださる」。兄は私にそう言いました。
 金光教の教師になって間もないある日、私は一人で教会の留守番をさせてもらわなければならなくなりました。20代半ばだった私は、それまで一人でお結界のご用をさせて頂いたことなどなく、丸一日のご用が私に務まるだろうかと、とても不安でした。何とか理由をつけて、留守番をしなくても済む方法を考えたりもしましたが、とにかくご用をさせて頂くことになりました。
 とはいえ、不安は募るばかりで、そんな私を見て、何とも心もとなく心配に思えたのでしょう。兄は私に、教祖様のみ教えを示して勇気づけてくれたのです。

 私は心の中で、「誰もお参りしてこなければいいのに」と、何ともご無礼なことを思いながら、お結界に座らせてもらっていました。すると早速、参拝者が来られました。
 その方(50)はお結界に来られると、「先日、同じころに二人の方から、とても重要な役職を私にやってほしいと話を頂きました。どちらも、日頃からとてもお世話になっている方で、私としてはどちらをお受けしたらいいのか判断できず、どうしたものかと思案しています。どちらを受けさせて頂いたらよろしいでしょうか」と、お取次を願われたのです。
 私は極度に緊張し、何と答えたらいいのか分からず、とにかく何か言わなければ、と焦るばかりでした。頭の中は真っ白になり、〝日を改めて、両親や兄のいる時にもう一度参拝してください〟とでも言おうかと思い巡らせながら、心の中で「金光様、どうぞ何か言わせてください」と願い続けました。

〝何事も神様にさせて頂くという心〟

 すると、ふと私の口から、「どちらにした方がいいかを、神様にお願いして決めて頂くというのではなくて、まずは、あなたがどちらの仕事をさせて頂きたいのかという、自分自身の気持ちが決まるように、神様にお願いされたらどうでしょうか」という言葉が出てきたのです。
 その方は大きくうなずいて、「なるほど、そうでした。では、どうぞ私の心が決まるよう、神様にお願いしてください」と言って、帰られました。
 「どうしてあんなことが言えたのだろうか」。その方が帰った後、私は不思議な感じを覚えました。
 その時、兄が出掛ける前に私に言ってくれた、教祖様のみ教えを思い出しました。そして、「あの言葉は神様が言わせてくださったに違いない。神様が使ってくださるということは、こういうことなのだろう」と思いました。
 それからしばらくして、その方から希望した会社に勤めることになったと、お礼のお届けがありました。

 あれから30年余りが過ぎました。
 私は今日まで、先の教祖様のみ教えを何度となく耳にし目にもしてきましたが、今でもまだ、つい〝我(が)〟が出てしまい、自分でできるという思い違いをしている自分に気付かせて頂くことがあります。
 あの日のように、〝何事も神様にさせて頂くという心〟を忘れずに、ここからの信心生活に取り組ませて頂きたいと思います。

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,