金光様に怒りをぶつけ【金光新聞】
「先生が変わらないと、私も何も変わらない」
先日、私が奉仕する教会で、近隣の教会の信奉者が集って信心を求め合う会合が開かれました。その集会に、私方の教会信徒の宮子さん(40)が遅れてやってきました。
彼女は、祖父母の代から信心の続く家に生まれ、幼い時から母親に連れられて教会に参拝していますが、信心による助かりや喜びをあまり感じているようには見受けられません。
その日、集会が終わり、宮子さんとしばらく話をしていると、彼女は私を責め立て始めました。そして、これまでの事を総ざらいするように、「先生が変わらないと、私も何も変わらない」と訴えたのです。
私は次第に腹立ちを覚えながらも、彼女の心の奥底に、苦しくどうにもならない思いがあることを感じました。そして、私の力のなさを恥じつつも、何とか宮子さんを助けてくださいと、心中で神様にお願いしていました。彼女は、涙を浮かべて何かを訴え終わると、またお参りしますと言い残し、教会を後にしました。
「なぜこんなことが起こるのだろう」。そう考えているうちに、以前、私も同じように振る舞ったことを思い出しました。
それは、12年前、金光教本部に参拝し、教主金光様のお取次を頂いた時のことです。
私は教会に生まれ育ったものの、当時は金光教の教師になろうと考えるどころか、訳の分からない宗教の家に生まれたことが嫌でたまりませんでした。
そうした悩みを持ち続ける中、金光様はどんなお方なのか、じかに会って確かめたいと思ったのです。
私はお結界に進み、金光様に自分の思いを話し始めました。すると次第に、誰も私の心の内を聞いてくれない、分かってくれないという、積年の思いが込み上げ、金光様へ怒りをぶちまけていたのです。そして、自分の言い分だけを吐き出すと、金光様をにらみ据えました。
それが、どれほどの時間だったのか分かりませんが、私にはとても長く感じられました。この間、金光様は私の目をじっと見ておられたのです。
険しい表情の私に対し、金光様は、何の怒りも感じられない表情で、真っすぐに私を見てくださっていました。私は、動揺して思わず金光様から目をそらし、お結界を立ち去りました。
金光様の祈りに助けられ
その後、曲折を経ながらも、いま私は父の後を継いで教会長のご用をさせて頂いています。
昨年、金光様のお取次を頂いている中で、じっと優しく私を包み込んでくださるような温かさを感じ、12年前のことが頭をかすめました。そして、あの時から自分は助かりへの道を歩み出し、ここまでたどり着いたことを思うと、そのありがたさにしばらく涙が止まりませんでした。
あらためて思えば、先日、私を責め立てていた宮子さんは、私自身の姿でもあったのです。
私も以前は、物事の不条理さを恨み、苦しんでいましたが、金光様の祈りに助けられ、この道の信心に導かれてここまで立ち戻ることができたのです。
金光様のあの真っすぐなまなざしには遠く及ばない私ですが、お参りする方のどんな訴えや苦しみも、どこまでも寄り添い、受け止めていけるご用となるよう、お役に立たせて頂きたいと、心より願っています。