みたま様の心安らかに【金光新聞】
「ポン、ポン、ポン…」
未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、やがて2年になろうとしています。あの巨大地震と大津波により、多くの尊い命が奪われ、東北地方沿岸部の姿は一変しました。亡くなられた方、今なお行方の分からない方、ご遺族、被災された方々の苦しみを思うと言葉もなく、私は九州の地で、ただひたすら祈るばかりです。
おととしの震災発生直後から祈り始め、3月19日には、教会長である父が被災地の方角に当たるご神前とお結界の間に祭壇を設け、翌20日に教会で仕えられた春季霊祭では、引き続き、その祭壇前で「天地賛仰詞」「新霊神拝詞」(いずれも葬儀式から合祀〈ごうし〉祭で唱える拝詞)を奉唱しました。
その後も日々のご祈念時や月例祭後にも祭壇での奉唱を続け、生花を飾り、毎日3回の食事とお菓子、お茶をお供えしました。その年の4月17日にお仕えした教会の大祭では、併せて震災復興祈願祭を、また、祭典後には祭壇の前で震災犠牲者慰霊祭をお仕えさせて頂きました。
そして5月1日、東日本大震災犠牲者五十日祭、合祀祭をお仕えし、参拝者全員が玉串を供えました。
その日の夕刻、父の先唱でご祈念をしていた時の、ご霊前での心中祈念中のことです。
お結界の天井部分で、突然「ポン」という音がしました。それは、ちょうどシャンパンの栓を抜く時の弾けるような音でした。それから2、3秒して、まるでその音に導かれるかのように、今度はご霊前の天井から「ポン、ポン、ポン…」と20数回音が鳴り続けたのです。これまでそんな音を聞いたことはなく、この後も今日まで聞くことはありませんが、この時は父と私、参拝していた女性の信者さんの3人の耳に、はっきりとその音が聞こえたのです。
ご祈念後、お結界に戻った父が、「さっきの音は、みたま様が応えてくださったのだと思う。震災に遭われた方のことを思うと、私は何かせずにはおられなかった。その思いから祭壇を設け、祈り続けてきた。私がさせて頂いてきたことは実にささやかなことではあるが、みたま様に少しでも心安らかになって頂けたのであれば、ありがたく思う」と、涙ながらに話しました。
ご神徳のお働きの中で
その翌日、さらに次のような話を、参拝していた信者さんから聞きました。
「昨日、ご霊前で合祀祭が仕えられた際、教会長先生の後ろに男性が1人と、その後ろに女性3人が座っているのが見えました。みんな力なくうなだれていましたが、教会長先生が祭詞を奏上されるうちに、男性の姿勢がだんだん真っすぐになっていきました。そして正座の姿勢になり、そのまま浮き上がるようにして、ご霊前のご霊舎へと吸い込まれるように入って行かれました。3人の女性も後に続いて行くのが見えました」
この話に、父も私も亡くなられた方が神様のおかげを頂かれ、ご神徳のお働きの中で助かっていかれたのだと感じ、ありがたく思いました。
私の在籍教会では、日々、朝夕のご祈念の際に「天地金乃神様、生神金光大神様のご神徳を頂かれ、どうぞおかげを頂かれますように」と、天地四方に、そして東日本大震災被災地の方角に向かって祈りを込めています。これからも日々、被災地の方々が助かり立ち行かれることを、心を込めて祈らせて頂こうと思います。
(『金光新聞』平成25年3月3日号より)