信心の香り漂う家庭に 【金光新聞】
神様の所に置いてきた
透君(4)は、ひいおじいちゃんの代から信心をしている家庭に生まれました。
生まれた時から、おばあちゃんやお母さん、家族に連れられて教会にもよくお参りしており、二つ上のお兄ちゃんも、学校で通知表をもらうと教会にお届けしてから帰宅するなど、兄弟そろって、神様や教会を身近に感じながら育ちました。
透君は思いやりがあって、とても優しい子どもなのですが、仲が良いのか悪いのか、お兄ちゃんとは毎日のようにけんかをしては、決まっておやつを取られて、お母さんに泣きついています。
ある日、いつものようにお兄ちゃんにおやつを取られそうになった時のことです。透君は、隙を見て家の中にある、神様をお祭りしている部屋に駆け込み、ポケットの中のおやつを祭壇の上に載せると、安心したように部屋を出ました。
その様子を見ていたおばあちゃんが、「透ちゃん、神様の部屋で何してたの?」と尋ねました。すると透君は、「お兄ちゃんに取られないように、神様の所に置いてきただけ」と、満足げにほほ笑んで応えたのです。
後日、教会に参拝して来たおばあちゃんは、「きっと、どうやったらおやつを取られないで済むか、透なりに一生懸命考えて、神様の所なら絶対取られない、大丈夫と思ったんでしょうね」と、それはうれしそうに、私に話してくれました。
信心が自然に伝わる
これは日常のささやかな出来事ですが、私はこの話を聞かせてもらって、なぜ、まだ4歳の透君が神様の所なら安心と思えたのだろうかと、少し不思議な思いがしました。普通は引き出しの中とか、人目につかない場所に隠すのではないかと思ったからです。そしてふと、以前に聞かせてもらったお話を思い出しました。
それは、ある教会の先生が、少年少女会の保護者に向けて、「信心の香りのする家庭で子どもを育てさせて頂くことの大切さ」というような内容でお話しされたものです。
この〝信心の香りのする家庭〟という言葉は、その時は何となく抽象的で漠然としたもののように思えましたが、その一方で私の心に響いたところがあり、ずっと胸の中に留めていました。信心の香りとは、家庭の中に漂う目には見えない空気のようなもので、でも、そこには確かに信心が息づいているということなのでしょう。そんな中で育つことができれば、子どもにも信心が自然に伝わっていくのではないだろうかと感じたのです。
透君の家庭にも、そんな信心の香りがいつも漂っているからこそ、神様の所なら安心だと、素直にそう信じられたのだと思います。透君とお兄ちゃんにとっては、神様とはどういうものかといった難しいことは関係なく、考える必要もなかったのでしょう。
おやつをもらう時は、まず神様にお供えしてから。そして、常日頃から家族みんなが教会にお参りしては、「神様、金光様、ありがとうございます」とお礼をし、「神様、金光様、お願い致します」とお願いをする。神様を敬い、祈る姿を目にしているからこそ、透君もお兄ちゃんも、子どもながらに神様のお働きや威厳をちゃんと感じていたのだと思います。
私は、信心の香りのする家庭で子どもを育てさせて頂くことがいかに大切かを、透君のおばあちゃんのお届けを通して、あらためて教えられた気がしました。