「どう祈ればいいのか」 【金光新聞】
ただ泣き崩れるしか
今春大学を卒業し、今は新社会人として頑張っている近藤晃さん。彼が大学3年生の時に、東日本大震災が発生しました。
甚大な被害の報に東京で接し、何か自分にできることをしたいという思いに突き動かされた近藤さんは、大詰めに入っていた就職活動や大学への提出課題など自分のことをひとまず置いて、金光教首都圏災害ボランティア支援機構の復興支援活動に参加しました。
近藤さんのそうした決意の元には、震災が発生する1カ月ほど前に、金光教の沖縄遺骨収集活動に参加した経験が少なからず影響していました。
近藤さんは遺骨収集活動に参加することで、不条理の中で亡くなられたみたま様の〝声なき声〟を感じることの大切さを実感していたからです。
被災地の気仙沼では、津波に襲われたホテル内の泥かきやがれきの撤去、泥水に漬かった食器類の洗浄などに取り組みました。当初、自分がしていることは本当に役に立っているのかと、藤もありましたが、次第にホテルがきれいになっていく様子に、近藤さんは自分の心もきれいになっていくように感じました。
その一方で、つらい体験もありました。百体ほどのご遺体が埋葬されている仮墓地を訪れた時のことです。そこに立てられていた墓標に故人の名前はなく、数字のみが記されていたことに衝撃を受けました。その土の下には、身元が分からないまま、荼毘(だび)に付されず埋葬されている方々がたくさんおられる現実を前に、ただ泣き崩れるしかありませんでした。
また、被災された年輩の女性宅の片付けを手伝っている時のこと。津波で泥をかぶった仏像を見つけた近藤さんは、「この仏像、どうなさいますか」と家人に尋ねると、「もう、神も仏もありません。捨ててください」と言われたのです。決して本心からでないにしても、そう言わずにおられない深い悲しみを前に、掛ける言葉がなかったのです。とはいえ、捨てられるはずもなく、近藤さんはきれいにその仏像を洗って、棚しか残っていませんでしたが、元は仏壇だったと思われる場所に、そっと安置してきたのです。
〝声なき声〟を意識し、心の感度を研ぎ澄ましていく
「この人たちのことを、僕はどう祈らせてもらえばいいのだろうか」。そんな思いを胸に抱えながら、ボランティアを終えて東京に戻った近藤さんでしたが、そこで何とも言えない違和感を覚えました。
「もう、風化が始まっている…」。震災からまだ8カ月しかたっていないにもかかわらず、東京では震災がすでに過去の出来事のような雰囲気が出始めていたことに、何とも言い表せないものが胸にあふれました。
この時、近藤さんの心の中で、東日本大震災のことと沖縄遺骨収集で感じたこととが重なり共鳴し合って、何かを訴えかけてくるように感じられました。
「日本史の教科書に、67年前の沖縄戦の記述は7、8行、阪神淡路大震災はたった1行のみ。いずれ東日本大震災も忘れられていくのでは」と、そんな懸念が胸をよぎったのです。
「私自身、日がたつにつれて関心が薄れていくところがあります。そうして無関心になり、忘れていくことが人の悲しみ、神様のお嘆きにもなるのだと思います」と言い、だからこそ、〝声なき声〟を意識し、心の感度を研ぎ澄ましていくことを、近藤さんは大切にしたいと思っています。