代々続くおかげの系譜【金光新聞】
過ぎ去った日々を振り返り
立春を過ぎたころ、信心仲間の永原さん( 65)と久しぶりに会った時、次のような話をしてくれました。
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私は定年を迎え、最近しきりに過ぎ去った日々を振り返るようになりました。喜びも悲しみも後悔も心に浮かびますが、苦労を分かち合った同僚、遠くに住む子どもたち、今は亡き友人の顔などを思い出すうちに、それらが皆、何かの形で自分の信心と結び付いていることに気付きました。
私の家は、父方・母方とも、曽祖父母の代から金光教の信心でおかげを頂いてきました。母方の曽祖母は、若くして夫と死別し悲しみのどん底にいた時、夢に見た近くの教会にお参りしたのを縁に熱心に信心を進め、女手一つで夫が残した仕事を発展させました。
しかし難儀は続き、後を継いだ息子も、さらに将来を託した孫の一人までもを亡くしました。それでも、信仰を支えに孫を育て、仕事をやり抜き、苦労の中を次々とおかげを頂いて、78歳という生涯を終えました。
四代後の子孫の代となった今、永原家は間違いなく子孫繁盛家繁盛のおかげを頂いています。けれども、ご先祖の苦労や助かってきた信心の話が家庭で語られることはほとんどなく、わが家のおかげの受け始めを次第に忘れてきているのではと、私は思うのです。
実際、わが家・一族の中で、教会へ日参している者がどれだけいるだろうか。これほどおかげを頂いているのになぜ気付かないのか。嘆かわしくも腹立たしくもあり、時には家族やきょうだいに向かい、その思いを口に出すこともありました。
しかし、「そんなことを言うから、みんなに嫌われるのよ」と妹から反撃され、子どもからは「お父さんの押し付けがましいところが嫌なんだ」と言われる始末です。
それぞれの仕方で信心の稽古
そんなある日、ふと、祖父母や両親は私に信仰を強いたことがなかったと思ったのです。子どものころ病気がちな私に、祖母はいつもご神米を頂かせてくれ、「痛い時には金光さま、金光さまとお唱えするのよ」と教えてくれました。私は父の信仰姿勢を、その背中から学びました。母は、大勢の子育てと家事に愚痴一つ言いませんでした。
そう振り返る中に、私の家族もそれぞれの仕方で信心していることに気付いたのです。妻は家のご神前を整え、月例祭に参拝し、家業に精を出しています。嫁いだ妹も、毎年本部に参り、子どもたちも、わが心で神様を頂いているに違いありません。「信心ができていないのは自分だ。私自身が真に助からねばならない」ということが、ようやくはっきりしました。
そんな思いに至ったのは、新年の信行期間が始まり、毎朝参拝している教会の先生から、新しい「神人(かみひと)あいよかけよの生活運動」のお話を聞かせて頂いていたころです。そして、何よりも私に信心の改まりのきっかけを与えてくれたのは、この運動の「願い」(※)の5行でした。
願いの言葉を一つ一つ繰り返し口にするうちに、これこそ今自分の求めているものだと思うようになり、運動の題目と願いを大書して、自室の壁に張りました。この運動に取り組むことで、自分の信心がどのように展開していくか、大きな楽しみとなってきました。
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話し終えた永原さんの表情からは、どこか静かな喜びのようなものが感じられました。
※神人あいよかけよの生活運動
【願い】
御取次を願い 頂き
神のおかげにめざめ
お礼と喜びの生活をすすめ
神こころとなって 人を祈り 助け 導き
神人の道を現そう