生神金光大神大祭をお迎えして─「運動」の実践としての「布教推進期間」─
金光教報 『天地』 10月号巻頭言
天地のお働き、神様のおかげのなかで、今年もさわかな秋を迎え、生神金光大神大祭が教主金光様ご祭主のもと、9月30日、10月4日、7日、10日の4回にわたり本部広前で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。
私たちは、それぞれのお広前において、生神金光大神取次を願い、頂いて、助かり立ち行くおかげをこうむってきている。そのことに御礼を申し、その働きを受け現してまいりたいと祈願させていただくのが、生神金光大神大祭である。
教祖様は、「これからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ」とも、「神様にお礼をするのに物を奉ってすむのならば、これまであなたが神様のおかげを受けられたそのお礼には、何もかも奉っても足りはすまい。神様はそんなものをお喜びになるのでもなく、また望んでおられるのでもない。あなたがおかげをいただかれたことを、神様のありがたいことを知らない世の中の人々に教えてあげよ。そうすれば、その人々が助けられ救われる。それが神様の一番喜ばれるお礼である」とも教えられている。
いずれも、教祖様の御取次を頂いておかげを受け、お礼に参拝してきた人へのご理解である。このようなご理解のおぼしめしを真摯に受けられた直信・先覚・先師の信心実践とご苦労によって、この道は展開してきたのであるが、そのなかには次のようなお取次もあった。
ある先師は、大病で死を覚悟し、「先生に今生の別れを申し上げたい」と参拝してきた信徒に対して、泣きたいほどの感動を覚えつつも、敢えて「あんた、生き別れに来たとは、えらい信心の帆を下げたな。金光様は、死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよと仰せになってある。今まで何を信心してきたか」「死の覚悟をしているあなたには、これからが本当の一心というものじゃ。なぜ、その決心と覚悟をもってお願いせんのか」と厳しく投げかけられ、「自分は今死んでも、生まれる力も、生きる力もない者が、33年間生かされ、恵まれているのだから、33年間、もうかったわけだが、33年間ご苦労くださっている神様のご損は考えたことがあるか」など、懇々と諭された。
それを受けた信徒は、「今日までの信心は、ただ一身一家のうえに、おかげをこうむらせていただきたいとの一心からのものであった。いわば自己中心で、親神様のお立場というようなことは、いささかも考えていなかった。これは申し訳ない、相済まないことであった。これからは、今日死んだと思って、少しでも親神様に喜んでいただくような自分にならせていただこう」と心に強く誓わせられ、2か月余り後に、病気全快のおかげを頂いた。
その後、いっそうに家族挙げての信心の稽古に努め、教会や教団のご用に立ち、また、地元地域が集中豪雨に見舞われ、甚大な被害を受けた際には、あるだけの白米を提供するなどのお役に立ちながら、「わが身、わが家におかげを頂いていることを、ただ自分だけで持っておくのはもったいない。どうか、一人でも多くの人に助かっていただきたい」との思いから、近所の人が手伝いに来てくれた折など、口を開けば必ず信心話をするようになったという。
10月と11月は布教推進期間である。今年の布教推進期間は、とりわけ今年1月1日に発足した「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」を踏まえ、信奉者一人ひとりが御取次を頂くことをとおして、これまで受けてきたおかげの自覚を深め、そのおかげに込められた神様のおぼしめしに思いをはせ、各教会で執り行われる生神金光大神大祭を焦点に、神様のご損にならないよう、神様がお喜びになられるよう、「神心となって 人を祈り 助け 導き」という信心実践に取り組ませていただきたい。
そして、そのような「神人の道を現そう」とする実践を重ねていくことで、信奉者一人ひとりに、そして、教会全体に生まれてくる、この道の信心のありがたさの深まりをもって、来年秋の教祖130年生神金光大神大祭をお迎えさせていただきたい。