神が働くネットワーク 【金光新聞】
級友と派手なけんかをして家庭謹慎
私が奉職する高校に在学していたS君は、子どものころから勉強、スポーツともに優秀で、中学生の時にはバレーボールの選手として活躍しました。実業家の父と愛情深い母のもとで裕福に育ち、根は優しく正義感の強い子でしたが、その反面、わがままでけんか早いところがありました。
高校でもバレーボール部に入部したS君でしたが、実力はあるもののチームプレイができず、ある日、ささいなことから級友と派手なけんかをして家庭謹慎となり、退部してしまいました。
それ以後、S君の素行は荒れていき、2年生への進級が危ぶまれるようになりました。S君の将来を心配するお母さんの励ましは、やがて小言や叱責(しっせき)へと変わり、S君の両親への反抗も次第に激しくなっていきました。困り切ったお母さんから相談を受けた私は、S君と話し合いましたが、事態は一向に好転しませんでした。
そんな折、お母さんは近くに住む叔母の勧めで、久しぶりに金光教の教会へ参拝することにしました。実家は金光教を信心していて、お母さんも結婚するまでは教会に参拝していたのです。
教会の先生は、「今、S君自身も苦しんでいるのでしょう。心配は神様にお預けし、幼いころS君を抱き締めた時のような気持ちで接してあげたらどうでしょう」と優しく諭しました。お母さんは、その後も教会の先生と話すことで、わが子を見守る余裕を取り戻していきました。
後日、私は教会参拝のことをS君のお母さんから聞いて驚きました。私とその先生とは旧知の仲だったのです。
私はある日、嫌がるS君を強引に誘って、その教会に参拝しました。
家庭と学校と教会が、ネットワークを持つ
私たちの参拝を待っていた先生は、「後は私が引き受けますから」と言って、S君と一緒に神様に拝礼するとすぐ車で近くの山に登り、眼下に広がる雄大な景色を眺めながら、こう語り掛けました。「ほら、あの道は、さっき車で登ってきた道だよ。車の中から見る景色と、ここから見る景色とでは全く違って見えるだろ。君の今の生活も、少し視点を変えて見たらどうだろう」と。そして、S君の家まで送っていく道中、自然の恩恵や人の生き方などを語る先生の話に、S君は次第に心を開いていき、やがて言葉を交わし始めたのでした。
翌日、教会の先生からこの時のことを聞いた私は、後日再び、S君を教会に誘ってみました。案の定、「行かん!」と断られましたが、その顔には以前のとげとげしさはありませんでした。
S君は、同級生より一年遅れて2年生に進級しましたが、生活態度は次第に穏やかなものに変わり、級友や先生との人間関係も良くなっていきました。また、多忙で家族を顧みることの少なかった父親もS君と話し合うようになり、お母さんの顔にも笑顔が戻りました。そしてS君は無事に卒業していきました。
ある日、大学卒業を迎えたS君から、私に電話がありました。
「先生、僕はあの時、教会に行かなかったら、高校を卒業できなかったと思う…」
今日、子どもを取り巻く問題の解決は、家庭や学校の努力だけでは難しくなっています。そんな時代にあって、家庭と学校と教会が、ネットワークを持つことができれば、神様の大きな働きが生まれてくると私は思いました。