布教メディア
金光教報 『天地』 8月号巻頭言
アニメ『続・金光さま─とりつぎ物語─』は制作の最終段階に入っており、その作業が終わると、10月1日の発売を待つばかりとなる。その詳細は金光教報『天地』7月号でお知らせしたとおりであり、予約の受付も順調に進んでいる。一昨年頒布したアニメ第一作目の『金光さま─とりつぎ物語─』は、好評を得ていろいろな場で活用されたが、第二作目もさまざまな布教活動に活用していただければありがたい。
教祖金光大神様は、「此方は、世界をこのお道で包み回すようなおかげがいただきたいと思っているのである」と仰せになった。今、生神金光大神御取次を頂いて、天地金乃神様の救いを世に現し、み教えを伝え、難儀な人をお道に導かせていただくことは、日に夜におかげを頂いている私たち信奉者が、金光大神様のみ心に添いまつろうとする時の大切な実践である。かつて八波(やつなみ)のご紋を菓子にして売る者が出現した時、金光大神様は、「ここまで道が広まったかと思えば、…うれしいのう」と仰せになった。その二つの仰せを合わせ頂くならば、「道が広まる」ということが、どれほど金光大神様に喜んでいただけることか計り知れない。しかもそれは、神様が世にお出ましになることに通ずるのであるから、天地金乃神様にもお喜びいただくことになると言ってもよいのではないか。
道が広まるということは、世と人のお役に立つ人が増え、難儀な人が救われて、ご神願が成就していくということである。「道」ということについて、教主金光様は、「神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております。どうぞよろしくお願いいたします」と、立教百五十年に際して仰せになった。私たち信奉者は、今、このお言葉に示された「神人の道」を日々の生活に現し、その道が広がることを願い、世と人のお役に立つことに努めてまいりたい。
人が助かり、道が広まるための行動の原点は、「お手引き」とか「お導き」といわれる行いであろう。多くのお道の先輩方が、金光大神様のみ教えどおりに、世と人の助かりを願ってそのことに取り組んでくださった結果、今月今日、私たち信奉者も、教会も、教団も存在しているのである。難儀している人を、天地金乃神様 生神金光大神様のところにお連れし、救いにあずかっていただくことは、「氏子がおかげを受ければ、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜ぶ」と金光大神様が仰せになる世界が開けてゆくことであり、神と人があいよかけよで立ち行くことになるのである。
アニメなどの布教メディアも、お手引き・お導きに代表される、世と人が助かり、道が広まるための行動に活用されてこそ、その意義が全うされる。天地金乃神様生神金光大神様の救いを今の世に実現するため、そして、その救いの実現を身近に進めるうえでの環境を整えるため、神様の願いと金光大神様のご信心に基づいて作られるのが布教メディアであり、その活用は、個々の信奉者や信奉者集団の取り組みによって効果を発揮する。
布教メディア活用の第一歩は、世と人が助かり、道が広まることを、心から祈らせていただくことに始まるであろう。そして、その祈りに続いて、目的と対象を定め、方法を決めて、具体的な行動が生まれてくることが願われる。何のために布教するかという目的については、「世と人のお役に立つ」「信心を伝える」「お道にいざなう」「本教の名を広める」「お道の価値・活動を知らせる、理解者を増やす」「布教拠点を設ける」「文化に寄与する」といったことを挙げられるであろうし、誰に向かって布教するかという対象について考えれば、未信奉者や信奉者周辺の人々ということになり、それが個人なのか特定少数なのか不特定多数なのか、「年代は?」「性別は?」「生業は?」「言語は?」といったことが問題になってこよう。そして、何をもって布教するかという方法については、信奉者の行動・体験、場(教話、講演、集会、会議、施設など)、文字、音声、映像、機器、物品などを挙げることができる。また、誰が布教するかという主体について考えれば、個々の信奉者、あるいは教会、教会連合会、教務機関、各種団体、信奉者集団などの組織体ということになるだろう。
このように道が広まるための布教活動は、主体、対象、目的、方法をいろいろに組み合わせることによって、今日まで多様に進められてきた。それは先述のように、難儀な人が救われて、ご神願が成就していくための活動であり、「神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜ぶ」世界を、それぞれの時代社会に現していかれた先覚・先人の大いなるご尽力に支えられてきた。今、私たちは、「神人の道」を日々の生活に現すことを自らに問い求めながら、神様 金光様のみ心に添いまつるよう努め、先覚・先人の行いを受け継いで、世と人が助かり道が広まるお役に、進んで立たせていただきたい。