教主就任式に当たりて
金光教報 『天地』 6月号 巻頭言
教主金光様には、去る二月十五日に行われた全教会長による教主選挙でご当選になり、全教の願いをお受けくださって、三月二十七日、五たび、教主としてお立ちくださった。来る六月十二日、教団独立記念祭に引き続いて、教主就任式が執り行われる。
教主金光様は、四代金光様ご帰幽のみ跡をお受けくださり、平成三年三月二十七日に教主にご就任になって以来、二十年間、本教を統理くださり、教祖様はじめ歴代金光様が具現された生神金光大神取次の業を、日々お進めになり、教統を保全くださっている。本年一月の「信行期間」では、教主金光様ご神勤二十年のお徳とご内容を、あらためて私たち一人ひとりがわが身に頂いてまいりたいとの願いを持って、取り組ませてもらったところである。
教主金光様の不断の教主統理のお働きのなか、教団の諸活動がとどまることなく進められてきた。この二十年を振り返ってみても、津田内局における教祖百十年の取り組み、教規改正、森定内局における教団独立百年の取り組み、「あいよかけよの生活運動」の発足、鈴木内局における教祖百二十年の取り組み、佐藤内局における立教百五十年の取り組みなどがあり、平成十六年と二十一年に開催された教会長信行会では、全国から多数の教会長がご霊地に参集し、教主金光様のお出まし、お退けを頂き、本部広前で共にご祈念を頂きながら、信心研修に取り組ませていただいた。
その間には、境内地取得、修徳殿の屋根および内装の改修、教祖奥城参拝用エレベーターの設置、金光教学院寮の建設、本部広前会堂の改修、さらに金光北ウイングの新築、本部広前祭場の躯体および屋根天井の耐震補強、石垣保護のための境内休憩所移転・改修など、ご霊地の施設面にも、ご時節、おかげを頂いてきている。
そのなかにあって、教主金光様は、立教百五十年生神金光大神大祭で、「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし、いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とのお言葉をお示しくださった。そこで、教団では、このお言葉を受けて、昨年から基本方針の副題に「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進め、『神人の道』を開く」と掲げ、教団諸活動に取り組んできている。
もとより、この「神人の道」は、教祖様ご立教以来、天地につながる道として求め現され続けられてきたものである。そのことを踏まえながら、これからはさらに「神人の道」の豊かな意味合いを明確にし、頂き直しながら、それが信奉者一人ひとりの具体的な信心生活や信心実践に結びつけて展開されていくことが、強く願われているといえよう。
教主金光様のご神勤を拝するに、四代金光様が指し示された「お礼を土台にした信心」を、絶えずご自身で頂きとおされながら、ご祈念、御取次くださっている。そのお姿は、まさに「神人の道」の実現に向けてのあられようと頂くことができるのである。
四代金光様は、「喜怒哀楽先にはあらず賜びし命ありて目覚めて後のことなり」と、喜怒哀楽の人生についてお歌を詠んでおられる。人間、誰しも素晴らしい人生を歩みたいと願い、いろいろなことに取り組み、その結果に一喜一憂を重ねていく。しかし、そのような喜怒哀楽の人生も、それが先にあるのではない。そうではなくて、まずもって神様から頂いた「賜びし命」ということがあり、そのうえで、その「賜びし命」が、朝の目覚めのおかげを頂いてから後のことなのだ、と。
つまり、私たち人間は、自分の生活、自分の人生と言いながら、いろいろな問題に出合い、それぞれに喜怒哀楽の人生を歩んでいるけれども、その生活や人生は、天地のお働き、神様のおかげのなかに生まれてきた「賜びし命」と、その命が神様のおかげのなかで、朝の「目覚め」を頂くことから始まっているのであって、それが私たち一人ひとりの命と生活の原点である。
そのことに気付かせられ、「お礼を土台にした信心」の大切さが、わが身わが心に染みこんでくれば、そこに自ずと「おかげ」の世界が生まれてくる。あるいは、「神人の道」が開かれてくるので、「どうぞ、そのような信心生活に導かれて、それぞれに素晴らしい人生を歩んでもらいたい」との四代金光様のみ心が響いてくるようである。
喜寿の御身をもって、日々お変わりなく本部広前にご神勤くださっている教主金光様のみ心に思いをいたし、共々に「神人の道」の実現を目指して、いよいよ「この道のおかげの自覚」を新たに信心生活を進め、ここからのご用のおかげをこうむってまいりたい。