人恨む心を変えた一言【金光新聞】
修学旅行の最中に交通事故
私(48)は、20年にわたって、中高一貫校の教員を務めました。その教員人生の中で、一生忘れられない出来事がありました。
それは22年前のこと。私の担任するクラスの生徒二十数名が、修学旅行の最中に交通事故で亡くなりました。私と後輩である賢太先生(当時23)は、生徒たちの家々を訪ねてご葬儀に参列させてもらいました。
ある女子生徒宅での葬儀が終わり、そのお母さんが私の前へ来て、会葬のお礼を述べられました。そして、娘さんは学校での出来事を楽しそうに家族に話していたと涙ながらに語った後、隣にいる賢太先生の前に座りました。賢太先生は、その女子生徒から特に慕われていたこともあり、お母さんの思いもひとしおだろうと思った次の瞬間、私の耳に飛び込んできたのは、「あなたが私の娘を殺したんですよ」という思いも掛けない言葉でした。
驚きのあまり、お母さんの顔に目をやった私は、絶句しました。そこには、優しい声や微笑はそのままに、目だけが異様につり上がった、まさに般若の表情があったのです。
賢太先生を責めるお母さんのその形相を前に、私は蒼白(そうはく)になって震える賢太先生をかばうことはおろか、動くことすらできませんでした。
その亡くなった女子生徒は事故の前日、頭痛を訴え、賢太先生に薬を求めました。今思うと、気分が優れぬ不安から、賢太先生に構ってほしい気持ちもあったのでしょう。
しかし、教員が生徒に薬を渡すことは禁じられていたため、賢太先生は随行の医師に薬をもらうようにと指導しました。そのことを、女子生徒は日記帳に「先生に冷たくされた」と記していたのです。
もちろん、この不幸な事故について、賢太先生には何の責任もありませんでしたが、あの時のお母さんの言葉は、その後も賢太先生を苦しめ、以来、その出来事について一切語ろうとしませんでした。
共に助かる道を求めたい
それから十数年たって私は退職しましたが、その後も、年に一度は賢太先生と杯を交わしました。それは私にとって、後輩との旧交を深めるというよりも、葬儀の時、事情を知りながらも賢太先生をかばってやれなかったことへの償いでもありました。私は教員仲間から、その後も学校を訪れては賢太先生を責めるお母さんの理不尽さを聞かされるたび、お母さんへの怒りを募らせていました。
そして、22年がたった今年もまた杯を交わしていた時、賢太先生が、あの葬儀の日以来初めて、「あのお母さんは、かわいそうな人ですね」と語ってくれたのです。
その一言に、今までのお母さんへの恨みが消えて、何とかお母さんの心が安らぐようにと願う、賢太先生の気持ちが伝わってきました。同時に、私の心にも「お母さんを何とか助けてあげたい」という神心が現れてきたのです。その一言がなければ、私自身、人を恨む、心の鬼のとりこになっていたかもしれません。
人は、心で人を殺すこともできると同時に、心で人を生かすこともできます。あの葬儀の日、お母さんに対して、何も言えなかった私ですが、今度どこかで出会ったなら、この道の信心に生きる者として、お母さんに語り掛け、共に助かる道を求めたい。今、私の心には、そんな願いがあふれています。