願いはかなえて頂けた【金光新聞】
一生に一度でいいから、両方の目で物を見てみたい
「私の頭には、人を笑わせる力があります」
ある金光教の先生が、教話の中でご自身のことをこう表現されました。その先生は、頭髪が薄いことを逆手にとって、ユーモアに変えられたのです。私(52)は、その先生に感銘と親しみを覚えながら、自分自身のことを振り返っていました。
私は生まれつき右目が見えません。左目は正常に見えるので、生活には何の支障もありません。しかし、わんぱく少年だったころの私は、神様にずっと一つのことを願い続けていました。
「一生に一度でいいから、両方の目で物を見てみたい」。七夕の短冊にも書いたことがありました。幼い私には、切実な願いでした。
それは、子ども雑誌に付いていた「立体眼鏡」とも関係していました。左右違う色のセロハンが張ってある眼鏡を掛けて、違う色で描かれた絵を見ると、絵が飛び出して見えるという付録でした。「どんなふうに見えるのだろう」。私は興味津々で、どうしてもその世界を見てみたくて仕方ありませんでした。
金光教の教会で育った私は、毎日、母とお結界でお取次を頂く習慣がついていましたので、母の姿を傍らで見ながら、神様に願うということを覚えていきました。毎晩、寝る前には布団の中で、神様にそのことを願いました。しかし、その願いがかなうことはありませんでした。
そのことにかかわってもう一つ、私には小学校の行事の中で、どうしても嫌なものがありました。それは、片目を隠して検査表の字を読み取る視力検査です。いつも右目から検査が始まるので、「見えません」と言うことが恥ずかしかったのです。
願いはかなえて頂けた
3年生の時、一度だけ、ずるをしたことがありました。前の子が検査をしている時に、検査表の配列を暗記して、自分の番になると、しゃもじのすき間から左目でそっと見て答えたのです。
検査を終えて教室に戻った私は、「先生はおかしいと思わないだろうか。親に連絡されて起こられないだろうか」と、びくびくしていました。
ところが、何日たっても何も起こらないのです。すると、私はある思いになりました。「気にしているのは自分だけかもしれない。周りの人は何とも思っていないのか。なんだ、そうなのか」。
それ以来、だんだんと右目が見えないということが気にならなくなりました。成長し、人には利き目があり、どちらかの目で物を見ていると知った時には、もう引け目はありませんでした。いつの間にか視力検査も苦にならなくなり、「生まれつき右目は見えません」と、先にいえるようになりました。むしろ、「片目でも、ほかの人以上にできることもある」という、誇らしい気持ちにさえなりました。
そしていつしか、右目が見えるようにと神様に願うこともなくなっていました。願わなくなっていたということは、願っていたことと形は違うけれど、私の願いはかなえて頂けたのだと思っています。
生きていれば、どうにもならない現実と向き合わなければならないことも起きてきます。神様は、いろいろな体験を通し、さまざまな形で、私の願いに道をつけてくださいました。願いどおりにならないことを不足に思うのではなく、それを補って余りある神様の大きなおかげに気付かせてもらいたいと思います。