メインコンテンツにスキップ

今日を一生涯と思って【金光新聞】

せめて末の子が二十歳になるまでは

 去年の夏、妻(39)は、半年前から気になっていた胸のしこりが少しずつ大きくなっているのに気付き、病院で検査を受けました。結果は、乳がん。「ついに来たか」という思いで、妻は医師の告知を聞き、今後の検査日程や手術に向けての説明を受けて帰ってきました。【金光新聞】

 帰宅した妻から検査結果について聞かされた私(39)は、半信半疑でした。外見上は、いつもと変わらない元気な妻の姿に、実感がわかなかったのです。

 一方、妻は冷静に現実を受け止め、黙々と入院の準備を進めました。

 妻には、胸に秘めた固い決意がありました。「せめて末の子が、二十歳になるまでは、何が何でも生き抜かなきゃ」。3人の子の母親である彼女は、小学3年生の末っ子が成人するまでは、絶対に死ねないと心に期していたのです。

頂いている命に感謝

 実は、妻の母親も乳がんを患い、49歳で亡くなりました。

 当時、妻の実家の近くには、がんの治療ができる病院がなく、遠方の病院へ入院しなければなりませんでした。家族と離れて闘病生活を送る母親を心配しながら、小学校6年生だった妻は、父親と2人の妹との生活を余儀なくされたのです。

 母親に代わって、父親が炊事や洗濯などの家事一切を、嫌な顔一つせずしてくれたおかげで、日常生活に不自由することはありませんでしたが、心配と寂しさはどうすることもできませんでした。それでも、姉妹は「お母さんやお父さんが心配しないように、笑顔を忘れずに頑張ろう」と励まし合い、母親の回復を祈り続けたそうです。 

 入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を続ける中で、母親からそれまでのはつらつとした面影が次第に失せていきました。やがて、病状は急速に悪化していき、がん発見から3年目に帰らぬ人となったのでした。

 そうした体験があるだけに、わが子たちの前では気丈に振る舞う妻でしたが、折に触れ、若くして亡くなった母親のことが頭をよぎり、「がんに打ち勝つことができるだろうか」と、不安を抱き始めていました。

 そんな時、ふと一つのみ教えが、妻の脳裏に浮かんだといいます。それは、教会で聞いた、次のような教話の一節でした。

 「当たり前のように毎日を過ごしている人は、今頂いている命がどれほど尊いものかに気付きにくい。今日の一日を一生涯と思って、家族仲良く信心生活をさせて頂くことが大切です」。

 妻は、ここまで命を頂いていることに、あらためて感謝し、病気と向き合う決意を新たにしたのでした。

 入院中、3人の子どもたちは、「お母さんがいなくても大丈夫だよ」と言って、手伝い分担表を作り、積極的に食事や洗濯を手伝ってくれました。「僕たちが、お母さんの病気をやっつけてやる!」と意気込む子どもたちに、私自身、どれほど勇気づけられたことでしょう。

 そんな子どもたちも、病院へ行くと、妻に思い切り甘えます。その姿を見て、子どもなりに我慢している心根がいじらしく、一日も早く病気が完治するよう、神様に願わずにはいられませんでした。

 その後、妻は手術に臨み、今では元気に日常生活を送っています。

 「今日も親としての務めができますように」と、子どもたちの成長を、妻と一緒に祈ることができる日々に感謝しています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

投稿日: / 更新日:

タグ: 文字, 信心真話, よい話, 金光新聞,