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会社勤めを家業と頂き【金光新聞】

途方に暮れていたとき

 石田さん(73)が、58歳の時のことです。長年勤めてきた会社から突然、「早期退職するか、このまま残るなら、勤務地がどこへ異動になろうとも単身赴任してもらう」と、言い渡されました。これは会社の方針で、石田さんの他にも何人か同じようなことがあったようでした。
 石田さんには妻と3人の子どもがいましたが、年の離れた末っ子の健太くん(当時10歳)にはダウン症がありました。健太くんは、いつも愛嬌(あいきょう)のある笑顔と優しい言葉で家族を和ませてくれます。音楽が好きで、教会に参拝すると、お広前のピアノの所へ行き、弾いたり歌ったりしていました。
 そんな健太くんをはじめ家族を残して、県外に単身赴任することは、妻の負担を考えても心配でした。また、翌年9月には信徒会の全国大会が地元で開催されることが決まっていて、石田さんは実行委員として準備のご用に当たっていました。さらにその2カ月後の11月には、教会の100年記念大祭があり、信徒総代として中心的に準備を担っていました。そんな状況の中、そもそも単身赴任など不可能なことのように思えました。

 会社に残るべきか、いっそのこと辞めるのがよいのか、途方に暮れていた石田さんは、ふとあることを思い出しました。
 中学生の時、4歳上の姉が急死するという悲しい出来事がありました。気持ちが落ち込んだ石田さんの足は、自然と教会に向きました。赤ん坊の時から母に連れられてお参りし、教会長先生にはよく抱っこしてもらっていた石田さんでした。その時は、取り立てて何かを話したわけではありませんでしたが、奥さま先生が、「教会のことをあなたの家と同じように思ってくださいね。大祭や何かがある時だけでなく、いつでも好きな時にお参りに来て、何でも話してね。待っていますよ」と、優しく言ってくれ、帰り際には、一緒に門まで出てこられ、石田さんの姿が見えなくなるまで見送ってくれました。その時、石田さんは温かさに包まれたような思いになり、とても安心できました。
 そんな少年時代のことを思い出しているうちに、一つのみ教えがありありと浮かんできました。「毎日の家業を信心の行と心得て勤め、おかげを受けるがよい」。石田さんにとっての家業は、長年お世話になってきた会社に勤めることだと思い直して、会社に残る決心がついたのです。

全てが神様のお計らい

 翌年の5月から県外での勤務となり、週末だけ自宅に帰るという生活を続ける中で、石田さんは二つの準備のご用成就と、家族と共に暮らせるよう神様にお願いし続け、会社にも地元に戻れるよう、根気強く働き掛けました。
 すると、8月に再び異動があり、地元に戻れることになったのです。これは本当に異例のことでした。そのおかげもあって、9月の信徒会の全国大会、続いての教会の記念大祭のご用も無事にさせて頂くことができました。全てが神様のお計らいだったと、もったいなくありがたい思いでいっぱいになりました。

 その後、石田さんは無事に定年退職を迎えました。しばらくして病気を患い、自宅にこもるようになりましたが、療養を続ける中で3年ほど前から少しずつ外出ができるようになりました。最近は、教会にお参りして、家族の健康と立ち行きをお願いすることが日課となり、日々元気に過ごしています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年12月15日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,