見放されていなかった【金光新聞】
この世に未練はない...
私(42)は、幼い頃から母親から虐待を受けて育ちました。中学生の時、「おまえなんか生むんじゃなかった」と言われてからは、無視されるようになりました。そうしたこともあってか、私は自信が持てず、人とうまく関わることができませんでした。
高校卒業と同時に家を出て、アルバイトをしながら自力で大学を卒業したのですが、就職してつまずいてしまいました。職場の先輩の何げない叱責(しっせき)の言葉が、母親のことを思い出させ、「叱られないように」と思うほど、失敗ばかりしてしまうのです。
そのストレスから、過食を繰り返すようになりました。肥満体型になった私への同僚の陰口を耳にしてからは、食べては吐くようになり、今度は拒食症になってしまいました。そんな悩みを知人に打ち明けたところ、ある宗教を紹介されましたが、事あるごとに金銭を要求され、借金もかさんでいきました。そして、「もうこの世に未練はない」と思い詰めた私は、リストカットを繰り返し、仕事も辞めざるを得なくなりました。
家族や友人、さらに神仏にも見放されたような思いの中、「それでも人と話ができるようになれば今の状態から抜け出せるかも」とネットで調べていると、「話し方教室」というコミュニケーションを学ぶ場があることを知りました。その教室で明子先生と出会ったのです。
勇気を振り絞って話し方教室に参加したところ、自己紹介の時間がありました。蚊の鳴くような声で自分の名前を言うのが精いっぱいだったのですが、明子先生は初対面だった私に、「ちゃんとお名前、言えましたね。その勇気があれば必ず話せるようになりますよ」と、笑顔で握手してくれました。その時、私の心はポカポカしていたのを覚えています。そして、教室に通ううちに、少しずつ自信がつき、1年後に再び就職することができました。
祈られていたことを知る
しかし、その矢先、私は病気を患い、手術を受けることになりました。手術には保証人が必要ですが、家族には頼る気になれません。そこで、駄目で元々という思いで明子先生にお願いしてみると、快く引き受けてくれ、その上、先生は退院するまで毎日お見舞いに来てくださり、私の心の奥底にある苦しみをじっくりと聴いてくださいました。
なぜ、そこまでしてくれるのかと尋ねると、明子先生はこう言いました。「あなたは宗教でひどい目に遭ったので言わなかったけど、実は私、金光教を信仰しているの。金光教の神様は全ての人の助かりを願ってくださっているの。だから、私もあなたの心が助かるようにずっと祈ってきたのよ。心身の健康を取り戻して、人のお役に立つような生き方をしてくれたら、と願っています」
生まれてからずっと責められてきた私のことを、「祈っている」と言ってくれたのは、明子先生が初めで、思わず私は、「教会に行かせてください」と言っていました。後日、教会にお参りしたところ、不思議と心が落ち着き、神様と対面できたような気がしました。以来、時々参拝しては、のんびりした気持ちで教会の先生からお道の話を聞かせてもらっています。
今、私は悩みを抱えた人の話を聞かせて頂く傾聴ボランティアをしています。私と同じように悩みを抱える人の声に耳を傾けながら、神様が喜ばれる生き方を求めていきたいと思います。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています