神の導きに目覚めた旅 【金光新聞】
自分探し
「私は何をしようとしているのだろうか」
そんなことをぼんやりと考えながら、私はインドへと向かう飛行機の機内から窓に張り付くようにして、眼下に広がる瀬戸内海に点在する島々を眺めていました。
このインド旅行には、はっきりとした目的があったわけではありません。ただ、ヒンズー教や仏教の聖地を巡って、ヒマラヤを間近に見てみたいという程度の思いからでした。
2時間遅れで成田空港を出発した直行便は、沈み行く太陽を追い掛けるように、太平洋上を飛行しました。
私は金光教の教会に生まれ育ちましたが、いつのころからか、自分が生きる世界は別な所にあるのではないかという思いが高まっていき、やがてその思いを押さえることができなくなりました。 そうして、私の〝自分探し〟のような人生遍歴が始まったのです。数年の間、出家したこともあれば、ミサに通い続けたこともありました。
こうした遍歴の背景には、金光教の信心をし、生まれ育った教会を継ぐことが当たり前といった環境から、どうにかして逃れたいという気持ちがありました。
しかし、信仰的に試行錯誤を重ねてきた私も30代後半になって、父の跡を継いでいくほかに、自分も両親も、また教会自体も立ち行くすべがないというところまで追い込まれていました。
そんな中で、このインド行きを、半ば衝動的に思い立ったのです。
天地の間に生かされている
日本をたってから8時間。雲から突き出るようにしてヒマラヤ山脈が機内から見えました。
やがて飛行機は着陸態勢に入り、徐々に高度を下げ始めると、西の空の水平線近くにあった太陽と、どこまでも広がるインドの美しい大地が目に入ってきました。
エンジン音と振動が次第に増す中で機体が大きく旋回すると、それまで後方にあった夜へと暮れていく景色が、斜めから滑り込むように視野に入ってきました。
すると、次の瞬間、目を奪われる光景が現れたのです。
それは、水平線から昇り始めたばかりの、東の空に輝く神々しいばかりの月でした。しかも、西の水平線に沈もうとしている太陽とまったく同じ高さの所に。
私は息をのみ、目を疑いました。
「月と太陽に挟まれている!」
その光景が機内から見えたのは、旋回するわずか数秒の間でしたが、そこには一体、どれほどの偶然が重なったことでしょう。
この時、私の脳裏には、金光教の教祖様が太陽と月と大地を司る神性を「天地三神」として奉られていたこと、金光教の神である天地金乃神(てんちかねのかみ)様にはそのご神性が備わっていることなどが、よみがえりました。
はるか異国の地であるインドへと逃れるようにやって来ましたが、「どこへ行こうが、何を求めようが、この天地の間に生かされているということに変わりはない。それが真実なのだ」と、沈黙の中から静かに、そう言われたような気がしました。
その後の旅路は、私の中に眠っていた信仰心と神様の導きを見詰めていく日々となりました。
あの日から数年がたった今、私は亡き父の跡を受け継いで、教会のご用に使って頂いています。