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時経て通じた親の祈り【金光新聞】

両親の魂が安らぐように

 ある日、私が奉仕する教会に1本の電話がかかってきました。
 電話の主は年配の女性で、「亡くなった両親が金光教式の戒名のようなものを頂いている。長年放っていて粗末になっているので、どうしたらいいか」というお尋ねでした。
 ご両親が50年近く前に当地に住んでいた時、当教会に参拝していたとのことで、近々自分たち夫婦と妹夫婦とで参拝するので、その時、あらためて相談したいとのことでした。
 教会には、金光教に改式したいと願い出る人がある一方で、親先祖は信心していたが、自分は信仰する気がないので神具などを引き取ってほしい、という依頼もあります。電話の内容だけでは本意がよく分からず、もしかすると、そういう相談ではないかという気がしていました。

 後日、約束通りその女性と妹さんが夫婦で参拝されました。そして、慣れない様子ながらも4人そろって丁寧に拝礼した後、広前を見回して、「この額はうちにもあったね」などと、金光様の教えが書かれた額を懐かしげに眺めながら、お結界の私の所に来られ、参拝の理由を話し始めたのです。その内容とは、次のようなものでした。
 数年前、両親の法要を営んだ後、離れて住む長兄とは疎遠となり、それに当たって両親の遺骨を分骨してもらい、姉妹で墓碑を建てた。その際、新たに持ち帰った遺品を整理すると、父親の日記や教会の(先代)先生からの手紙が出てきた。それらを読んでみると、生前は気難しいところもあり決して聖人君子のような父ではなかったけれど、どんな時にも家族のことを神様に願い続けてくれていたことがよく分かった。2人とも嫁いだ家の宗派があるので改式することはできないけれど、両親が心から信じ、おかげを受けてきた神様の下で祭ってあげたいと思うようになった。
 2人はそう話し、「それが、両親の魂が一番安らぐような気がして」と、目を潤ませました。

親から子への尊い命の通い合い

 生前中は十分に伝わらなかったご両親の思いと祈りは、長い時を経て娘さんたちに伝わったのです。
 私はあらためて神様に、長年の失礼をおわび申し、親から子への尊い命の通い合いから生まれた新しい願いをお受けくださるよう、一緒にご祈念させて頂きました。そして、霊神名を木の札にしたためて、金光教の拝詞集と一緒にお下げしました。
 現在、2人の娘さんは、それぞれの家の一角に、ご両親の写真と、その時お下げした木札を祭り、ご両親が好きだった物を供え、日々ご祈念されています。
 また、ご両親の命日と春秋の霊祭、教会の大祭時には、お供えと一緒に家族の近況を手紙でお届けされるようになりました。

 以前私は、お取次を頂いての心からの願いは、天地の帳面に墨書きされ、消えることはないと聞かせて頂いたことがあります。たとえ姿形が無くなっても、その願いは天地の中で生き続け、時が満ちて成就していくことを、このことから分からせて頂きました。
 私たちは、お互いの心の中にある願いを、どこまで本気で神様に願っているでしょうか。人の願いを放っておかれない神様の大きさを感じ、わが心で願いを小さくすることなく願い抜いていこうと、あらためて強く思わされた出来事でした。

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年10月19日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,